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INTERVIEW 02
YASUHIRO MIHARA
三原康裕
Maison MIHARA YASUHIRO シューズデザイナー

Vol.3靴づくりは小さな宇宙ですね

Feb 8, 2023
靴づくりは小さな宇宙ですね

靴のデザインは盆栽。洋服とは違います。 小さな宇宙の中の自由なのです。

靴づくりは明確なプロセスがあって、制約の中で自由につくることができるものだと、服づくりを始めてから実感したそうです。「Maison MIHARA YASUHIRO」の独創的な靴づくりとヴィブラムとの長い関係を語っていただきつつ、そのデザインへのアプローチなど、多岐にわたって伺えた貴重なインタビューになりました。

−− 第2回のインタビューの最後にソールありきで靴のデザインを考えるとおっしゃっていました。三原さんのシューズデザインのプロセスを教えていただいても良いですか?

三原 まず、木型。木型をイメージして、ぼくらはアシっていうのですが、次にソールを決めます。ソールと靴づくりの手法は絶対的につながります。グッドイヤーウェルト製法だったり、マッケイ製法だったり、セメンテッドだったりをどうするかはソールで決まりますね。最終的にアッパー。アッパーありきってあまりないです。このサイドゴアブーツもソールが先でした。サイドゴアで良いのか、とかも考えたりはしますが、ゴツいソールでプレーンなアッパーで、それでサイドゴアにしました。最後にレリーフのようなギミックを入れて完成させました。最終地点の味付けがギミックです。

−− そのプロセスの理由ってあるのでしょうか?

三原 靴って履いてなんぼでしょ? 当たり前ですが。だから木型を決めて、履き心地チェックします。そしてアシです。この木型の傾斜にはここまでにしたいとか、このソールでいこう、となりますね。

−− 歩きにくい靴って結局履かなくなりますね。

三原 木型が失敗している靴なんてあり得ないですよ! 木型が失敗しているのに、デザインが進んでいくなんて(笑)、ダメでしょ。

−− 靴をデザインするって、三原さんの場合はどんな風に感じているのですか?

三原 靴づくりってプロセスとして制約があるから、つくっていて楽しいですね。服を作り始めてからそのことに気づきました。洋服づくりを始めて最初は戸惑いました。メンタルが違うっていうのでしょうか。靴って、制約がある中でやれることをどんどん追求できるわけです。結論からいうと制約があるから自由である、というイメージがありますね。ところが洋服って、ジャケットはある、パンツはある、シャツはある、そして素材もたくさんある、それこそ好きなものも多いし、頭おかしくなりますよ。

−− 靴に対して、洋服づくりは自由すぎるということですか?

三原 アフリカ大陸に行って、地平線の彼方まで使って良いよ、って言われているみたいなものです。自分が使うのは10メートル四方で十分で、そこに家建てて、畑耕して、がやっとじゃないですか、人間ひとりなんてそれで暮らせるわけじゃないですか。でも洋服はアフリカの地平線まで使って良いというね。クリエーションの本質がそこで見えたわけです。盆栽みたいなものだな、靴は。こういう世界であるからそこに宇宙が広がるわけです。面積ではない盆栽の小さな中に大きな宇宙がある、それは靴も同じです。制約があるから宇宙感が広がる、けれども洋服は大草原を走り続けるような感覚がありました。それで、洋服づくりにも制約をつくるようにしたのです。

−− 制約がないから、あえて制約をつくるということですね。靴と同じ土俵にもっていくという感じですか?

三原 自分で制約をつくれるようになって、洋服づくりが楽しくなりましたね。あえてこれはやらない、こういう枠組みの中でこういうことをする、ってガッチリとして枠組みをつくりました。靴を考えてみたら、コスモが広がるわけです。コスモが広がらないクリエーションはやめよう、と。制約があるから広がるものがある、それを商品化していこう、と決めました。洋服を始めて靴の世界に初めて気づいたのですね。靴には最初からそれがあったのです。魚にとって水がなくなって初めて水のありがたみに気がついた、という感じです。

−− 青天の霹靂でしたか。

三原 最初からその制約がわかっていて洋服をつくる人もいると思います。無限な自由なんて幻想です(笑)。「自由に表現できて良いですね」と言われることもありますが、自分では制約をすごくつくっていますよ。そう思ってからは考え方も哲学も変わらないですね。盆栽の小さな世界ですね。小さければ、小さいほど時間と経験の体積が圧倒的になって、深く、密度の高いものづくりができるわけです。その制約をなくしてみて、やってみたけれど、自分が好きになれませんでした。

−− 洋服づくりの難しさですね。コレクションにテーマがあるというのは、デザイナーのつくる制約なのでしょうね。

三原 靴の哲学を洋服に取り入れられたとき、初めてわかった。自由は求めているけれど、足枷になりますね。本物は制約の中にちゃんとありますね。靴は重力を支えている場所ですから、そして歩行という運動を支えている。実際には何トンという荷重がかかることまで想定されているもの。だから、靴には神経を使って当たり前です。崖から滑ったとか、雨の日に床が濡れていて滑ったとか、それは全部靴が原因ですからね。ソールは信用ですから。

−− 安心感があってこそ、ですね。

三原 デザインがあって、いろんな面白いチャレンジができるけれど、ヴィブラムだから安心だな、というのはあります。もしヴィブラムがなかったら、考えていくと難しいポジショニングの靴はあるわけです。グッドイヤーウェルト製法でつくるというのは、長く履いて欲しい、という考えがありますからね。それでもソールが擦り減ったらもう履けないですから。靴には神様がいて、靴の神様に愛されている人は真っ当な靴がつくれるのだと思います。ものに感謝しないといけませんね。

−− ヴィブラムを使うときと使わないときでデザインは変わりますか?

三原 結構変わりますね。製法から変わってきますからね。ヴィブラムソールなら、グッドイヤーウェルト製法でも、セメンテッドでも、マッケイ製法でも耐えられます。出しを入れても切れません。ソールの脇を削ったり、切ったりしても安心できますが、他のメーカーでは怖いときもあります。逆にヴィブラムだからあえて削ることもあります。ヒールの靴で脇を削ったほうが華奢に仕上がるし、削らないと絨毯とかで引っかかってつんのめることもあるじゃないですか。それができるわけです。

−− デザインと機能が共存するわけですね。

三原 靴のデザインをしている人は割と言いますが、ヴィブラムってセメンテッドの時のノリとの相性も良いから、剥離しにくいですね。他のものの中にはゴムの中の樹脂があってノリを弾いちゃって。ヴィブラムだったら、普通はしないことができることもあります。ゴムの配合や接着面の処理の仕方が良いのです。

−− 最後に履き心地に関して伺いたいと思うのですが。

三原 履き心地というか、ヴィブラムの硬い音が好きですね。靴のソールは硬いほうが履いているという感じがしますね。昔、開発途中のモンスターというソールがあったのですが、ソールが平面ではなく、いろんな方向を向いていて、歩くとカコカコなる。テコの原理というのかな、それで歩かせてくれる感じがあるのです。山に登るとグリップになるのだろうと思いました。ああいうソールを見ると靴の未来がある気がしますね。まだまだできるというのかな。木型は動いていない状態でつくるのがほとんどで、直立でつくります。ソールって、ただ床で滑らないものだったり、歩きやすさばかりに目が行きますが、かなり哲学的だし、物理的にも人間工学的に考えられているから、正直びっくりします。こうした開発がまだまだある分野ですよね、ソールって。ヴィブラム社はその先陣を切っていると思いますし、納得するものですね。旅に行くときにいろいろ持っていくのは大変だから、ヴィブラムが一足あれば、安心っていうのもこういうことなのでしょうね。どこの国でもサポートしてもらえるから、これだけあれば、というものですね。

−− いいお話をたくさん聞かせていただき、ありがとうございました。

三原康裕(みはらやすひろ)Maison MIHARA YASUHIRO シューズデザイナー

1972年 福岡出身。多摩美術大学美術学部デザイン学科テキスタイル専攻で学び、靴のデザインを始める。大学在学中に独学で最初の靴を作り、1996年 自身のレーベル 「MIHARAYASUHIRO」を立ち上げる。1999年 現在の(株)SOSUの前身、(有)SOSUを設立。2004年 ミラノコレクションに初参加。2007年 パリコレクションに参加。2016年 ブランド名を「MIHARAYASUHIRO」から「Maison MIHARA YASUHRO」に変更。2020年 「General Scale」 という環境的責任を掲げたラインをローンチ。2021年 ショップ併設のギャラリースペース「#無責任画廊」始動。2022年 9月より1年間、(株)ソスウが「日本橋アナーキー文化センター」を運営。

Text by 北原 徹
Photo by 北原 徹