ヴィブラムの歴史と哲学を知ると、 安心をつくっている会社だと思います。
ミラノにあるヴィブラムの工場と本社を訪問。そのとき見たことに「本物」を知ったという三原康裕さん。そこから感じられるヴィブラムの魅力とヴィブラムソールから生まれる三原さんのシューズデザインの秘密までを深く語ってもらいました。
−− シューズデザイナーとして、本格的にヴィブラムと付き合うようになったきっかけはあるのでしょうか?
三原康裕さん(以下「三原」と略す) まだ駆け出しだったころですが、眞田さん(現・ヴィブラムジャパン代表、第一回目の「担当の方」も眞田さんです)がミラノの工場と本社に連れて行ってくれました。そこでいろいろなことを知るわけです。そこでヴィブラムが何故本物かも知りました。
−− ヴィブラムが「本物」であるということですか?
三原 歴史を聞くと本物だということがわかりますよ。ヴィブラム社の前身は、登山用品店で、ミラノでお店をやっていたそうです。登山用品を売っていました。当時の登山靴はブーツの先が金属の爪がついて釘で打ち込んであるものだったのですが、友だちがスイスのアルプスとかに登っていたときその爪が折れる事故があって、お亡くなりになったそうです。それでヴィブラム社を立ち上げて、登山用のブーツをより軽量化し、−20℃でも硬くならず、割れないゴムの調合を開発したと聞きました。今は200℃以上でも溶けないし、−40℃レベルでも硬化しないものができているそうですが。
−− そんな話を聞いて感動されたわけですね。
三原 ゴムの配合のレシピは本当に極秘だそうですが、その話を聞いてぼくがヴィブラムを好きな理由が明確になりました。何が本物かという、つまり本物の意味というのが、信頼と安心感なのだとわかりました。これを使っておけば、安心ということが本物なのです。工場に行くと金型にゴムの塊を並べて、そこに木の棒を押さえとして置いていました。その木の重みがちょうど良いそうで、テクノロジーばかりと思っていたら、意外とアナログ感!(笑)職人技を見ましたね。別のフロアでは実験をしていました。ヤスリのついたようなマシンで削って耐摩耗のテストをしていました。また別のところでは、角度のついた坂があって滑らないテストをしていましたね。その光景を見て思ったのですが、創業者のDNAが綿々と受け継がれていて、命に関わることなのだ、ということを含めてずっとトライアルを続けていると思いましたね。ぼくらはデザインが好きでヴィブラムを使うわけですが、彼らはもっと本質的な、よりハードとしても追求していることを感じました。ギャグに聞こえるかもしれませんが、まさに「地に足がついている会社」でした(笑)。だから安心できるのです。
−− 靴底はタイヤと同じで命を預けているところがありますよね。
三原 EVAとかスポンジとか軽いタイプがありますが、摩耗が抑えられていることなど、いろいろに感じるところがあり、他との違いを感じています。売っている立場として、安心があります。ぼくも量産前には試し履きテストをしていますが、絶対壊す行動をするのですよ。大事に履いていてはわからないことがあります。逆に言えば、壊さないとどこに問題があるか、わかりません。スケボーをしたりして、わざと壊れる環境をつくるのですが、ソールが切れるということはなく、アッパーが壊れることが多いですね。ソールは踵の減りくらいはありますが、壊れませんね。
−− ヴィブラムと一緒にものづくりをされたこともありますか?
三原 過去にも何度か1からデザインさせていただきました。マーブルのソールもぼくのデザインです。マーブル調合ができませんか? と頼んだら、トライしてくれました。ソールのグリップのところを色変えしたこともあります。つまり、ベース(アッパーの側にある本体部分)とラグ(接地面の凸凹)を違う色にしてもらったのです。
−− 今では普通に流通しているものですが、三原さんのオーダーから始まっていたのですね!
三原 ぼくはヴィブラムソールの十字が大好きです。とても象徴的で。ヴィブラムの代表的な「カラルマートソール」の十字はイタリアのミラノのアーケードの床のタイルの図柄から採用されたものです。そのストーリーが格好良いじゃないですか。
−− 深いお付き合いがあることがとてもわかります。
三原 とても良い会社だと思います。新しいソールの考え方。今のファイブフィンガーズもピッティで見たときびっくりしましたし、風呂敷みたいになるのもピッティで見ましたね。ラッピングするようなソールで、ゴムの配合が良いから薄くても耐久性があります。
−− ゴムの配合はとても重要ですね。ソールの命といっても過言ではありません。
三原 靴の可能性はソールから広がっていることはありますね。昔だったら、グッドイヤーウェルト製法があって、セメントがまだ強くなかった時代だったから縫うことが良い時代もありましたが、今はゴム底もどんどん進化していくわけです。だから、グッドイヤーウェルト製法やマッケイ製法が一番良い手法かというと、それだけではなくなってきています。フットウェアという意味ではスニーカーも含めて、新しい製法を生み出すことが靴のデザイナーとしては重要です。
−− 新しい製法が新しいデザインを生むということですね。
三原 ヴィブラムもそこに目をつけている、というか新しいソールづくりを目指していると思います。5本指のシューズもそうですし、生地に焼き付けるインジェクションも考えているでしょうし、巻いていくのもそうだし、新たな製法へのチャレンジもやっていますよね。5本指を見たときに思いましたが、ゴツいソールで山を登るのも良いのだけれど、レジャーとか軽いアウトドアアクティビティにはあれくらいの軽さも良いのでしょうね。考え方が多岐にわたっていると思います。
−− そこは目指していきたい部分ですね。
三原 伝統ある会社ほど、セールストークで「伝統を重んじる」と言いますよね。それではそこで止まってしまいます。ですが、ヴィブラムはそこで止まらない。面白いものもつくりますし、逆にシンプルで汎用性のあるものもつくってくれます。一体成形のヒールものつくってみたりとか、(ヒールのシューズを持ちながら)ぼくらはしゃもじって呼んでいますが、どんどん出してくるのですよ。こういう靴をつくったときに、滑りとか、すり減りとかはとても気になります。このソールも白はなかったのですが、白を焼いてもらいましたヴィブラムの白ソールって格好良いだろうな、と思っていたのです。ぼくの靴づくりはソールから考えることが多いのです。デザインが先ではなく、ヴィブラムのヒールをつくってみよう、というのが入り口です。そこからアッパーはクラシックにして、とかデザインしていくのです。
三原康裕(みはらやすひろ)Maison MIHARA YASUHIRO シューズデザイナー
1972年 福岡出身。多摩美術大学美術学部デザイン学科テキスタイル専攻で学び、靴のデザインを始める。大学在学中に独学で最初の靴を作り、1996年 自身のレーベル 「MIHARAYASUHIRO」を立ち上げる。1999年 現在の(株)SOSUの前身、(有)SOSUを設立。2004年 ミラノコレクションに初参加。2007年 パリコレクションに参加。2016年 ブランド名を「MIHARAYASUHIRO」から「Maison MIHARA YASUHRO」に変更。2020年 「General Scale」 という環境的責任を掲げたラインをローンチ。2021年 ショップ併設のギャラリースペース「#無責任画廊」始動。2022年 9月より1年間、(株)ソスウが「日本橋アナーキー文化センター」を運営。
Text by 北原 徹
Photo by 北原 徹