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INTERVIEW 16
NAOKI ISHIKAWA
石川直樹
写真家

Vol.1私が旅に出る理由

Oct 8, 2024
私が旅に出る理由

ヒマラヤの山々から都市の雑踏まで世界各地を旅し、作品を発表しつづけている写真家の石川直樹さん。その足元には、常にヴィブラムを搭載したシューズがあった。

写真家と作家を横断する幅広い表現領域で活動する石川直樹さん。23歳で当時の七大陸最高峰登頂最年少記録を更新し、近年ではヒマラヤの8000メートル峰14座に登り続け、独自の視点で切り取った作品を発表しつづけています。そんな石川さんに、これまでの旅やヴィブラムとの出会いについて語っていただきました。(取材日:2024年6月)

−− 石川さんは写真家、作家、そして登山や冒険など活動が多岐にわたりますが、ご自身についてどのように捉えていますか?

石川 肩書きというものにあまり意味を感じませんね。自分が旅を通じて見てきたものを写真や文章で記録し、様々な形でアウトプットしていく、ということを長年続けてきました。旅することと写真を撮ることは分かちがたく結びついていて、どこかで区切られるものではありません。

−− これまでヒマラヤの山々をはじめ、世界中のさまざまな場所を訪れてきました。旅への情熱はいつごろ芽生えたのでしょうか?

石川 高校2年生のときにインドとネパールを一人旅したのがきっかけです。このときは、海の向こうに日本とは異なる文化があり、世界は極めて多様である、という当たり前の事実を、17歳という年齢で身をもって実感しました。

ご飯を手で食べる、トイレでは紙を使わず手で拭く、人々が行き交う道路をゾウが歩いている、ガンジス川の上流から遺体が流れてくるなどなど……インターネットやガイドブックで知っているつもりになっているのと、実際にその場に身を置いて“出会う”のとでは、大きな違いがあります。17歳のぼくには衝撃的で、そのような体験がその後の旅への契機になりました。さまざまな未知のものに出会い、五感で知覚し、理解していく……それを体現しているのが旅だと思っています。

−− 20歳でアラスカのデナリに登頂し、22歳のときに北極から南極までの地球縦断プロジェクトに参加されましたね。

石川 デナリは標高が6190メートルで北米大陸最高峰の山ですが、いわば垂直方向への旅である高所登山の魅力を教えてくれました。

地球縦断プロジェクト『POLE TO POLE』では、自転車、カヌー、スキーなど人力の移動手段を使い、国際チームで1年かけて北極から南極へ縦断しました。地球を半周するわけですが、北極から北米、中米、南米、そして南極と、環境が徐々に変わっていくさまを身体で経験できたのがよかったですね。

また、世界7カ国から集まった8人の同世代のメンバーによる旅だったので、言葉も文化も異なる仲間とのコミュニケーションや共同生活について、難しさや楽しさを知りました。1年間の旅でしたが、学校などに通うより何倍も多くのことを学ぶことができたと思っています。

Photo by:Naoki ISHIKAWA

−− ヴィブラムとの出会いもその頃ですか?

石川 「ダナーライト」という、ヴィブラムのソールを使った靴があるのですが、 それを高校生のころに履きはじめたのがきっかけです。街でも自然の中でも履き込んでいたので、結局ソールを3回ほど交換して使っていました。使いすぎてブーツ本体も傷んでしまい2足目を購入しました。

アフリカ大陸の最高峰であるキリマンジャロなど、標高6000メートルくらいまでならダナーライトで登っていました。とにかくアウトソールがヴィブラムというだけで安心感がありましたね。それ以来、ヴィブラムとは30年の長い付き合いで、トレッキングシューズでも登山靴でもヴィブラムのアウトソールの靴を無数に履いてきました。

−− 2001年に23歳でエベレスト登頂に成功し、七大陸最高峰登頂最年少記録を更新(当時)されました。かつて、英国の登山家でエベレスト登山中に遭難したジョージ・マロリーは「なぜエベレストに登るのか?」という問いに対し「そこにエベレストがあるから」と答えたという逸話があります。石川さんはなぜ世界の頂点を目指したのでしょうか?

石川 その話は、ただ山があるから、という意味ではなく、未踏峰としてのエベレストがそこにあったから、という意味ですね。旅を突き詰めていくと、どうしてもガイドブックなどに出ていない場所、情報が少ない場所へ行ってみたくなります。エベレストは今では多くの人が登っていますが、ぼくはそれでも最高峰の山というものを体感してみたかったですね。

Photo by:Naoki ISHIKAWA

−− そのときも足元はヴィブラムでしたか?

石川 はい。2001年のときはミレーの靴で、2011年にもう一度登った時はイタリアの「SCARPA(スカルパ)」のトレッキングシューズと登山靴を履いていて、いずれもアウトソールはヴィブラムでした。エベレストのベースキャンプは標高5300メートル辺りなのですが、そこまではトレッキングシューズで。ベースキャンプより先は氷河なので、アイゼンを装着します。

−− 標高8000メートルの世界では空気中の酸素濃度が地上の約1/3まで低下し、人間が生存するのが難しいことから「デスゾーン」と言われますが、実際に体験されていかがでしたか?

石川 ただ、ぼくは酸素ボンベを使っていますからね。それでも、大変ではありますが。本当に生き延びようという強い意志を持たないと、命を失いかねない場所です。6000メートル峰とは、全然異なる感覚がありました。登頂時はもちろん嬉しいのですが、下山の際に遭難する可能性も高いので、早くベースキャンプまで戻りたい、という気持ちが強いです。

−− そのような苛酷な状況において、どのような思いでシャッターを切るのでしょうか?

石川 自分の身体が反応した瞬間にシャッターを切ります。理想は見たものすべてを写真に記録していくことですが、さすがにそれは難しい。そこで、自分が目にして、何か「オッ」と感じたものを撮っていくイメージです。それは、ヒマラヤの山でも東京でも変わりません。

自分が見て身体が反応したものを撮影し、それを写真展や写真集のような形で経験を分かち合ってきました。同時代の人に見てもらいたい気持ちはもちろんありますが、写真は50年後、100年後まで残るので、未来の人々に「こういう風景があったんだよ」ということを伝えたいという気持ちも込めて写真集を編んでいます。展示は見られる人が限られますが、写真集は長く残りますから。

−− 自分の作品を通して、どんなことを伝えたいですか?

石川 何かを伝えたいのではなく、自分が出会ってきたものをそのまま提示したいと考えています。ぼくの写真から地球環境のことを考える人がいてもいいし、写っている人々の暮らしや文化に興味を持つ人がいてもいいし、あるいは美しい風景に心を動かされる人がいてもいいし、あるいは何も感じなくたっていい……見る人に自由に見てもらいたいです。

−− そもそも写真に目覚めたきっかけは?

石川 高校時代にインドとネパールを訪れたときからずっと、旅にカメラを携えていました。目の前のものを記録しておきたい、という気持ちが強かったのだと思います。その後、森山大道さんをはじめとする個性的で優れた写真家たちとの出会いが大きかったですね。

−− 2001年のエベレスト登頂後は、ポリネシアの島々を巡ったり、世界中の先史時代の洞窟壁画を撮影したり、さまざまな写真集を発表してきましたが、2011年に再びエベレストを目指されましたね。

石川 2001年に登頂したときはチベット側のルートからでしたが、ネパール側から登ってくる登山隊もいて、いつか自分も行ってみたいなあ、と思ったんです。そこで、ちょうど10年後の2011年に、今度はネパール側からのルートで登ってみました。そのときにヒマラヤ登山の面白さに改めて気づいて、その後、毎年のように他の8000メートル峰に挑戦するようになりました。
石川直樹写真家

1977年東京都生まれ。東京芸術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。人類学、民俗学などの領域に関心を持ち、辺境から都市まであらゆる場所を旅しながら、作品を発表し続けている。2008年『NEW DIMENSION』(赤々舎)、『POLAR』(リトルモア)により日本写真協会賞新人賞、講談社出版文化賞。2011年『CORONA』(青土社)により土門拳賞。2020年『EVEREST』(CCCメディアハウス)、『まれびと』(小学館)により日本写真協会賞作家賞。2023年 東川賞特別作家賞。2024年紺綬褒章を受賞した。著書に、開高健ノンフィクション賞を受賞した『最後の冒険家』(集英社)、『地上に星座をつくる』(新潮社)ほか多数。

Text by 山口幸一
Photo by 前田一樹*インタビューカット撮影